『金閣寺・鳳凰』
・・・・・(書)一匹狸、 (鳳凰画)黄昏乃亜里、 (背景画、音楽、構成、解説)阿呆丸・・・・・
有名な日本の世界遺産・金閣寺は、室町幕府第三代将軍足利義満が譲り受けた建物を1397年に改築し公事の中心とし、義満の死後、その遺言のままに禅宗の寺と改められた『鹿苑寺』の『舎利殿』を指す。
この時代、乃ち室町時代では、天皇と藤原氏を筆頭とした貴族の覇権争いであった平安時代や、武士の台頭と共に源氏と北条氏が主権を掌握し鎌倉に政治の中枢を据えた鎌倉時代を経て、混乱の南北朝時代をも過ぎ去り、再び京都が実質上での政治文化の中心となった時代であり、殊に文化的には武士と貴族の融合した独特の文化『北山文化』とも分類されている。
また一方、先立つ150年程以前に、日本の僧侶・栄西や道元が当時『宋』時代であった中国へと渡り禅宗が日本へと移入されたが為に、室町時代に既に中国では『宋』が滅び、続く『元』も滅び、既に『明』時代へと移行していたにも関わらず、足利義満は日本で新しく芽吹いた禅への傾倒を殊更に強く持ち、それ故に禅寺『鹿苑寺』造営を託して死した、とも云われている。
1399年に起こった応仁の乱に於いて『鹿苑寺』全体をも含む京都の街の大方が消失したにも関わらず『金閣』だけは難を免れた。が、1950年5月、同山の学僧である林承賢により放火され『金閣』は消失。5年後の1955年に再建される。但し、『金閣』の屋上の『鳳凰』だけは放火以前に取り外されていて無事であった。
この金閣寺放火事件をテーマに、三島由紀夫が小説『金閣寺』を描いたのは放火から6年後の1956年である。
第二次大戦以降、 殊に美学や秩序の面で日本が乱れ往く様相を当時から懸念していた三島は、主人公に「死を前提としてこその美」と云う観念を狂気の内に確信させて同小説を描いたが、後に彼自身が主人公さながらに『憂国』等を描き自刃した実話は世界的にも衝撃を与えた。
後年、三島は中国『唐』時代の詩人・李白の『登金陵鳳凰臺』からの一説『鳳凰臺上鳳凰遊、鳳去臺空江自流』の書を自筆で描いている。
「中国の宋時代、六朝の都としての金陵は、まるで鳳凰が台上に遊ぶが如く繁栄していたが、時代は空しく過ぎ去り鳳凰は飛び去ってしまった。
しかし、それでも世の中と云うものは揚子江の様に只々流れ続けている。」と云う意。
現在の日本の「美や秩序の失墜してしまった世相」を顧みても、正に『鳳凰は空しく飛び去ってしまった』と評しても過言では無かろう。