『病臥の床で』:『三国志』シリーズより『周瑜』(2’03”)
・・・・・(作曲編曲、絵、解説)阿呆丸 ・・・・・
有名な『三国志』の中で、高貴な出生、天賦の才、眉目秀麗、弁舌術優れ、且つ、音曲等の芸術造詣の深さまで持ち合わせていた、つまり殆ど全てに於いて恵まれていた『呉』の軍師『周瑜公瑾』。
但し、余りに全てが万全であればある程に、その驕慢な心理も相当に矜持高きものでもあり、『赤壁の戦い』で居並ぶ敵対国『蜀』と同盟を結び、敵対する後一つの大国『魏』の『曹操』を撃ち負かせたものの、その後、同盟国『蜀』の天才軍師『孔明』との策略抗戦に敗北した自己を許せず、やがて病に倒れ、その死に際にすら『孔明』を怨んで「何故、天は同時期に私と孔明と云う二人の人物を生まれ出でさせたのだ・・・」との言葉を残した。享年は36歳とも38歳とも伝承されている。